「女王」の作り方・その2(女王の教室より)
「女王」の作り方・その2。念願の小学校教師になってからの阿久津真矢の人生を辿ります。教師として、母として、そして再び教師として。
2.母親時代
小学校教師になったものの、その当時は生徒と友達のような優しく、そして「甘い」教師だったそうです。叱ることもきついことも言えずに校長などから「もっと厳しく指導したらどうか」ということも言われていたり。(当時の教頭より) しかし彼女は変わらず友達のように接した。それでも親からの度重なる抗議、生徒(児童)が言うことを聞いてくれない・・という現代の学校に関わる一連のストレスを受け続け、それをずっと溜め続けました。理想と現実とのギャップに苦し見続けたんでしょうね。
そしてあるとき、爆発してしまったようです。体罰として。被害者とされるケガをした生徒が「先生に体罰を振るわれた」と告げたらしく、事実かどうかは不明ですがそれを機に小学校を去ることになりました。
私の「読み」としては、真矢は体罰をしていないと考えています。もしかしてあまりの疲れと多忙さに自己の人間性を奪われて、「体罰」という目に見える暴力ではなく、尾木直樹氏の言う言葉などによる「心罰」を気づかぬうちにしていたかもしれませんが、ともかく体罰はしていない。おそらくその生徒は他の生徒に怪我をさせられたのに本当のことを言えず、それを先生のせいだと言ってしまったのでしょう。周囲も「先生、最近様子がおかしかったし」と思い、真矢本人も「もう辞めることを選んでもいいだろう」と退職の方向で周囲が合意していった。これが辞職の真相なんだと考えます。当時、一緒になるべきパートナーもいたことですし・・
その後、真矢は結婚、出産、一人娘を授かりました。教師として果たせなかった教育への情熱をすべて自分の子どもに注ぎ、熱烈なスパルタ教育をしく「教育ママ」になっていったそうです。「私は一度失敗しているから」。これが当時娘と同級生の子を持つ母と話した言葉だそうです。夫婦仲は非常に悪かったそうな。夫が浮気していたのだそう。ここにも一人娘に愛情を注ぎこんでしまう原因があったんでしょう。
そして悲報。一人娘の交通事故死。娘さんは真矢の熱心な教育によって小児性のノイローゼにかかっており、一人でぼーっと歩いているところに交通事故にあったそうです。
・・相当思い悩んだでしょうね。自分のせい、全部自分、こんなことになるなら、あのときこうしておけば・・
子どものためと思っていたことがすべて子どものためにはならなかった。むしろ子どもを苦しめていた。夫婦も結局、離婚。あらゆるものを失った。
そんな真矢の心の奥に最後まで残っていたのは・・・教育への情熱だったんでしょうね。自分の娘では果たせなかった教育を子ども達に向けて。今度こそ失敗しない。いろんなものを失った人間が決意した「意志」は簡単には折れません。
このとき、彼女の心に「芽」が出はじめまたんでしょう。
3.「女王」の時代
・・ここからが本編にも登場してくる「前の学校」の話になります。決意を新たにして教壇に立った真矢。そんな真矢にあの生徒が現れるわけです。すなわち肩口から胸にかけて切られたあの傷。「どうして人を殺してはいけないんですか」。真矢自身、もう昔のただ優しいだけの先生ではありません。その使命感からはっきりとその生徒と向き合った。いや、向き合ってしまった。このために「事件」が起こる。
真矢も生徒も病院に搬送。看護婦の証言には「先生の方がひどい怪我をしていた」、「神様・・・誓いますから・・・」と言い続けていた、とあります。おそらく生徒が先に真矢に致命傷を負わせており、それに対し真矢も生徒へ何らかの傷を負わせてしまったのだと推測されます。それは深い傷を負わされながらも教師として自分が傷つけた生徒を気づかい、「神様、誓いますからあの子を助けて下さい。もう子どもを死なせたくないんです。」という看護婦が聞き取れなかったであろう祈りに繋がっているんだと思います。
退院後、真矢は「再教育センター」へ。そして現在の小学校に。・・ここから本編になります。
「子どもに復讐しに行くんじゃないんですかと思いました」。まだ教師を続けていることを聞いた、事件のあった学校のPTA副会長の言葉です。
むろん、真矢が教師を続けているのは復讐ではない。「教育は奇跡を起こせるからです」。この言葉こそ、いろいろなものを失った真矢の信念の、魂の願いなんだと思っています。
「女王」は教師として、そして母として親として、いろいろな経験をしたからこそ生まれ出たのだと考えます。これが理想の教師かといえば、そうではないのかもしれない。想いの強さが形になった一種の「権化」みたいなものですからね。でもその言動から現在の教育において本当に大切なモノは何かを考えさせてくれる存在であったと思います。・・私が思うにそれは生徒から生まれた「信頼感」にほかならないと思っています。
■この背景でわかる諸事実
●天童先生に対する態度
天童先生は真矢の若い頃の姿にそっくりだったことがわかります。過去の自分を冷淡に見ているであろう真矢にとっては、ある意味歯痒く写る存在であり、だからこそクールにあたったんだろう、ということが読み取れます。とくに天童先生の結婚で辞める、辞めないときに見せたクールさはときに酷いなぁと思っていましたが、これは既に自身で経験済みだったからこそ、なのですな。もうあちこちで指摘されていますが、天童しおり(てんし)、阿久津真矢(あくま)という対比がここにあります。さらに読み解けば、最初何でもわかってくれる弱い「天使」の先生から、厳しく正しく強い「悪魔」の先生になる、こういう過程を先生の成長として「伏線」で盛り込みたかったんじゃないかなぁと思います。
●和美の「アロハ」
和美の最後の台詞、「先生、アロハ~☆」のときの真矢の笑顔、あれはきっと教師としてだけでなく、自分の娘が新しい制服を着て中学生になった、そういう「母」としての喜びを真矢が感じたからこそ見せた笑顔だったのかも、と邪推してます^^ あれが本当の自分の娘だったら・・。そんな胸の内があるんじゃないのかな。
以上です。
(追伸)
いま大学院で勉強していますが、前も書いたけどこの研究科で勉強する人ってやっぱり何らかの教育的トラウマを抱える人が多いなぁ・・という印象です。進学の動機、あるいはこれからの進路は真矢ときわめて似ているのかも知れません。私はどうなのかな・・?


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